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2008年02月08日

いきなり安芸高田マンホールシリーズ甲田町編

燈台もと暗しというか、以外に知られていない安芸高田市のマンホールの話題。
これまで2回にわたって紹介してきた各町のマンホール。これまで吉田町、高宮町、向原町を紹介してきたんじゃが、高宮特派員のエコさんからなぜか甲田町のマンホール情報を頂戴いたしました。
エコさん情報提供ありがとうございました。

さて、注目の甲田町のマンホールの蓋なんじゃが、みなさん甲田町はなんじゃと思いますか?
甲田町と言えば湧永庭園とかハンドボールが有名なところじゃが、そのほかにも千貫水とかナシとか唯称庵とか盛りだくさんな甲田町。

さぁではご覧頂きましょうか!!甲田町のマンホールはこれだっ!!

甲田町のマンホール

ん??何やら文字が書いてあるが、緑の風、花の色、果実の香と書いてあるようじゃのぅ。
そして絵柄は紅葉?それともカエデか??そして中央にあるのは桜かのぅ??
ちょぃとこれまでのパターンとは趣の違った絵柄である。甲田町は紹介するもんがたくさんありすぎて、一つに絞れなかったのだろうか?詳しい方、ぜひコメント欄に詳細を。。。

さぁ残るは美土里町と八千代町だ!引き続き情報提供を待っとるけぇね。
あっ、そうそう。デジカメなんてたいそうなものを使って写真は撮らんでええですけぇ。携帯のカメラで十分じゃけぇ。
美土里町、八千代町の皆さん、足元をよぉくみて情報の提供をよろしく頼みますけぇ。

(情報提供 高宮特派員エコさん 文 root)

いきなり安芸高田マンホールシリーズ外伝 かしらの生息する北広島町編

さてさて。安芸高田市のマンホールも残すところあと2つ。美土里町と八千代町の情報を残すのみとなりました。
っていうことはよ。あと2回でこのシリーズも終了じゃのぅーーーこのシリーズを早く終了させるのも延々引き延ばすのもRe読者の皆さんのさじ加減次第じゃけぇ、引き続き情報提供待っとります。

さてそんな中、Re客員コメンテーターのかしらてんていから、お隣の北広島町のマンホール情報の提供を頂きました。
さすがはかしらてんてい!

ところで、北広島町(旧千代田町)のマンホールの絵柄はなんなんじゃろうのぅ??
旧千代田町といえば神楽と花田植のメッカ!当然マンホールの蓋も神楽か花田植の絵柄じゃないんかのぅ?
鬼の絵柄のマンホールなら、ちょっとしたオブジェとしても使えるでぇ。
さぁ期待の中、かしらてんていから送られてきた北広島町のマンホールの蓋はこれだっ!!

北広島町のマンホール

ほぅ??予想に反して案外おとなし目の絵柄なんですのぅ~
わしゃぁてっきり鬼が大口を開けておるような絵柄とか、大蛇がトグロを巻いておるような絵柄かと思うたが。。。
この絵柄はなんなんかのぅ?何かの花であることには違いないのだが・・・・・

(情報提供 Re客員コメンテーターかしら 文 root)

2008年01月03日

再び登場!レトロ看板特集! マツダランプ

安芸高田もぶろぐというReの前身のサイトをご存じの方もかなりいらっしゃるとは思うが、
もぶろぐが閉鎖されてほぼ1年。数々の名コーナーがあったのだが、その中でも個人的に大好きだったコーナーが
レトロ看板のコーナー。
安芸高田市内のレトロな看板をいろんな方に撮影してもらって紹介するコーナーだったのだが、
今日実家の神社に参拝に行った時偶然にもレトロ看板を発見したんよ。これも神さんのお告げか!?
というわけで、再びこのコーナーを復活させることにいたしました。
皆さんもレトロな看板を見つけたらReまでお知らせください。(投稿はこちらのフォームから

さて、記念すべき復活第1回目の看板はわしも調べるまでは知らなかったこの看板!

マツダ電器

その名もマヅダランプ
あの自動車メーカーのマツダが昔は電球を作っていたのか??販店というの字からも相当昔の看板だと
思われる。さっそくググッてみると。。。。

マツダランプ」 は1910から1962年頃まで使われた株式会社東芝の電球の呼称です。現在は「東芝ランプ」で
東芝ライテック株式会社に引継がれています。
丸の中に「マツダ」のマークは、その後は傘マークのToshibaをへてTOSHIBAになっています。
例外として光を計測する元になる東芝標準電球には「マツダ」のマークを引続き使用しいます。
「マツダ」は「MAZDA」からきており、ゾロアスター教の光の神様「アフラ・マズダ」で、元はインドの「阿修羅」が各地
に伝えられ名前が変化したといわれています。
このようなことからMAZDAは、Edison MAZDA Lampなど欧米の電球にも使用されていた時期があります。

へぇーーーーー
あの東芝の電球ブランドがマツダといいよったんじゃのぅ~!
1910年といえば明治時代後期。なんとあの頃から電球のブランドがあったこと自体が驚きじゃが、
昭和37年ごろまではこのブランドが使われていたっていうのにも驚くよのぅ。

そがぁな昔のことはかしらてんていぐらいしか判らんと思うけぇ、詳しくはかしらてんていの降臨を待つしかないのだが
真っ二つに切断されて何かのカバーとして利用された形跡のあるこの看板、かなりの値打ちモンとみた。

第2次大戦中の雑誌広告の画像(下図)によると

雑誌広告はこんな感じ
生産に全力を挙げていますが、ご家庭までまはりません。
現在の手持ち電球で御辛抱ください。
の文字が。。。。。
うーん。大変な時代があったんじゃのぅ~。ちなみにこの広告が掲載されていたのは2605年の科学朝日誌面
だそうである。

ん??2606年!?今年は2008年の筈じゃが・・・・

この不可解な数字の意味がわかるのは、かしらてんていしかおらんじゃろうのぅ~。
みなさんもこんなおもしろくて珍しい看板がありましたらご一報を。

(文 root)